内窓プラストとの物語
大信工業社が製造する内窓プラストと中西の出会いの物語をご紹介します。
北海道では当たり前の内窓プラスト
北の大地、北海道・網走での発見は、私の人生において画期的な瞬間でした。そこで初めて出会った「プラスト」は、高い気密性と練られた仕組みにより、私に衝撃を与えました。家の中の騒音や温度に悩む多くのお客様にとって、これはまさに救世主となる可能性を秘めていると直観しました。
大信工業社営業部の皆さまと
東京へ戻るや否や、私は大信工業社に連絡を取りました。内窓プラストはガラスが別売。ガラスとセット販売でないからこそ、お客様の問題解決に最適なガラスで工事ができる。そう私は確信したのでした。設計士とメーカーが設計図を見て材料を決めるのが当たり前だった当時、個々に異なるお客様の状況に合わせて材料(内窓・ガラス)を決めるという発想は斬新でした。
就任のお祝いに駆け付け中沢社長と
当時、大信工業社の専務であった中澤現社長は、「家が取り壊されるその日まで、お役に立ち続けられる内窓でありたい。」と、私に語りました。メーカーと施工者。持ち場は違いますが、『長きにわたりお客様のお役に立ちたい』、その願いを私たちは共有しました。
快適プログラム開発 小峯先生・伊藤先生と
以来、どうすればプラストの性能を最大限に生かし、お客様の悩みを解決できるかを、ひたすら考えてきました。快適な温度環境にいては千葉工大小峯教授他に学びました。音響の原理を桐朋学園大学斉木教授に学び、内窓だけで騒音を取り除く技術に応用しました。そして技術の改善は今も続いています。
内窓プラストと25年 お悩みを解決します
恩師と仲間、そして工事をさせていただいた1000名を超えるお客様と出会い、学び、エールをいただいてきました。そのお一人お一人に感謝しつつ、今日もまた私たち旭建硝は、内窓プラストを手に、お客様の困りごとの解決に奔走します。